私のコーギー愛のルーツでもあるジャッキーについて、こちらで紹介します。
ジャッキーはその犬生で私にたくさんのことを教えてくれました。
犬を飼うとは…1つの命に責任を持つということ。楽しいことや嬉しいことばかりではないこと。他では経験することの出来ないような幸せをもたらしてくれること。どんな自分でも無条件で愛してくれる存在が出来るということ。
私の弟であり、子供であり、先輩であり、おじいちゃんだったジャッキー。
ぜひ最後までお読みいただければ幸いです。
プロフィール
2001年4月8日生まれ、2019年1月10日没。
体重は常に12kg程度。
性格は…
- とにかくマイペース!
- 賢いけどちょっと抜けてる(目の前で隠されたおやつを見つけられない等)
- 一人(犬)でいるのが好き
- べたべたされるのは苦手
- 食べ物だけは誰にも譲らない
- 怖いものなし!(ハロウィーンの飾りは苦手)
ジャッキーとの出会い
ジャッキーは2001年、私が14歳の時に出会いました。
(私のプロフィール記事にも出会いについて少し紹介してありますので、こちらもぜひご覧ください。)
当時、卓球部だった私はある日の部活の帰りにふらっと寄ったコンビニで「コーギーの子犬譲ります」というチラシを目にしました。入口のドアの横にぽつんと貼ってあって、可愛らしい子犬の写真と連絡先が手書きで記してあるシンプルなものでした。
当時、母の知り合いがコーギーを飼っていて、その可愛さに魅了された母はすでにコーギー狂と化していたので、「これは母に知らせねば」と急いで家に帰りました。
話を聞いて大興奮した母は、すぐにチラシを見に行き連絡先をメモしました。チラシの主はブリーダーではありませんでしたが、血統書付きのコーギーをつがいで飼っていて子犬が出来たため貰い手を探しているとのことでした。母、私、弟はすでに飼う気は満々だったのですが、父が唯一反対していました。とりあえず子犬を見せてもらうだけ…と父をうまく言いくるめて、譲り手の方に家まで来ていただきました。
今でもよく覚えています。オーナーの方の手の中にすっぽりと収まった小さなジャッキー。
茶色くてふわふわしていて、子犬はこんなに小さいものなのかと驚きました。みんなで代わる代わるその小さな頭をそっと撫で、よろしくねーよろしくねーともう家族になった気分でいました。
反対していた父もその可愛さに心を奪われたようで「…世話はお前たちがするんだぞ」と容認するような発言をし、これでジャッキーが正式に家族になることが決まりました。
子犬時代
ジャッキーは子犬たちの中でも一番小さく、オーナーさんの手からミルクをあげなければいけなかったりして一番手がかかった子犬だったとのことでした。貰い手が決まるまでは、よわよわしいので「弱(ジャク)」→「ジャック」と呼ばれていたようです。それを知らずに私の母は「ジャッキー」と名付けると決めていたそうです。偶然にしてはすごい!運命だったのかなと今でも思います。
ジャッキーはよく食べ、よく寝て、よく走り回る健康な子犬でした。
コタツの周りを延々とグルグル走り回っていたので、
まるでイノシシみたいだ…
と圧倒されていました。
粗相もいたずらもたくさんしました。
新しく通い始めた獣医さんからは、「コーギーはとても賢いのでしつけは注意しなさい」と口酸っぱく言われました。これはどんな犬種にも言えると思いますが、飼い主が自分より下の存在だと思ってしまうと、手の付けられない犬になってしまう可能性があるのです。
家の中で一番年齢の若い弟(当時9歳)も、ちゃんとジャッキーのしつけが出来るように練習し、飼い主として必要な心構えを身に着けるよう努力しました。
成犬時代
ジャッキーはとても健康な子でした。吐いたり下痢することすらほとんどなく、足腰もしっかりしていて毛並みもよく、生まれて間もない頃はよわよわしいからジャックと呼ばれていたなんて信じられないほどでした。
唯一、子犬のころから、立ち止まったときに後ろ足がプルプルすることがあり、獣医さんからは要注意だといわれていましたが、結果的に15歳のときに老衰で歩けなくなるまでは後ろ足に異常が出たことはありませんでした。
成犬ジャッキーは毎朝母とウォーキングに行くのが日課でした。いつもダイエットを頑張っていた母のことなので、ウォーキング仲間が出来てさぞ嬉しかったことと思います。母の親友は当時柴犬を飼っていたので、一緒にドッグランにも行ったりして楽しそうでした。
(私はその頃学生だったので平日は授業を受けていました。ちぇっ。)
ジャッキーが9歳のころ母が亡くなりました。家の中が悲しみに包まれて雰囲気が暗かったせいもあり、ジャッキーも気分が滅入ってしまったと思います。親戚の叔母に「ジャッキー元気がなくて心配だね」と言われ、飼い主として不甲斐ないことですが、そう言われて初めて気が付きました。
時間が経つうちに次第に家族も元気が出てきて、家の中も日常を取り戻し、それにつられるようにしてジャッキーも元気になっていったように思います。
ジャッキーが11歳の時、私が結婚しアメリカに引っ越すことが決まりました。当時まだ現役で働く父だけでは面倒が見れないとのことで、ジャッキーは私と一緒に渡米することが決まりました。
アメリカでの生活(11歳から)
ジャッキーと渡米した時の様子については別の記事にまとめましたので、そちらをご覧ください。
ジャッキーの11歳以降の生活は、それまでとは全く違う環境になりました。
母が亡くなるまで、私は学生だったこともあり家にいない時間も多く、ジャッキーの世話はほぼすべて母にまかせっきりでした。母の死を境に「この子の世話は私がしなくてはならない」という使命感が湧き、特にアメリカに連れてきてからは、私がジャッキーの母となり今まで以上に気をかけて世話をしました。
アメリカの生活には私よりジャッキーの方が早く馴染んでいました。夫ともすぐに仲良しになり、毎朝仕事のお見送りをして、車が見えなくなると寂しそうにしていました。
中西部の寒い冬には、コートやブーツなどを購入して対策しました。はじめは少し戸惑っていましたが、この装備を付けるとお散歩できるとすぐに学び、外に出るとマイナス10何度の世界に物怖じもせず、雪すらもかじってしまうほど寒い冬が大好きになりました。
ここでちょっと変な話ですが、ジャッキーはオス犬ながら若い頃から腰のフリフリを全くしませんでした。…なのに!アメリカに引っ越してから、車に乗ってお出かけするときに限って、嬉しすぎて興奮状態になり、運転席に座ってサイドブレーキをおろす夫の腕に対して「フリフリ」するようになったのです!!!!
11歳という高齢になってから、フリフリを覚えたジャッキーなのでした。
なんで僕の腕にだけ…?
老犬介護(15歳から)
ジャッキーはその後も大きな病気をすることもなくずっと健康でしたが、15歳頃から後ろ足がだんだん弱くなってきて、支えてあげなければ上手く歩くことが出来なくなりました。お顔の毛も白くなってきて、一日中寝ていることが多くなりました。
少しでも歩く助けになればと思い、犬用車いすを購入しました。ただ、ジャッキーはすでに前足も弱り始めていたため、車いすを引っ張って歩くことは出来ず、結果的にあまり役には立ちませんでした。
そして、16歳の誕生日を迎えて間もなくほぼ完全に寝たきりの状態になりました。前足で支えて体を起こすことは出来ましたが、もう歩くことは出来なくなってしまいました。
膀胱の筋肉が緩くなり、お漏らしをするようにもなりました。マナーバンドをつけてみたりしましたが、最終的にベッドの上におしっこシートとタオルを敷いて、その上にジャッキーを座らせる・寝かせるようにして介護するようになりました。
寝たきりになってからは痴呆の症状も出てきて、夜は眠らなくなりました。この頃に、ツイッターに老犬介護をしている方たちがたくさんいることを知り、お互い励ましたり励まされたり、とても心強かったです。皆さんも年老いた愛犬が夜に眠らないということで悩んでいるようでした。
私も夜は3,4時間程度しか眠れず、日中は仕事をするという日々が続き少し気が滅入ることもありましたが、ジャッキーのためなら何でもする覚悟でした。当時はしんどい・辛いと思うことも多かったですが、今ふり返れば、とても幸せな日々だったように思います。
日中は共働きで留守にしてしまうため、極力眠っていてほしい。でも、夜も眠ってほしい。そうなると1日中寝てるだけで、何も楽しみがないじゃないかと悲しくなり、気分転換になるかと思い毎日カートに乗せてお散歩に行きました。
しかしながら、このときには痴呆が進んでいたため、ジャッキーはそこまで散歩を楽しんでいる様子は感じられませんでした。このトピックについては別の記事でまとめたいと思いますが、このときは痴呆の進んだ老犬の幸せについて毎日毎日考えていました。
18歳まであと3か月…と思っていた矢先、ジャッキーの目に潰瘍ができてしまいました。ちょうどクリスマスの時期でした。救急の病院に行き、眼科専門の獣医さんのところへも行き、目薬や飲み薬などの治療を始めましたが、万が一悪化して破裂することになった場合、とても痛い思いをすることになると聞き、私たち夫婦は「安楽死」を選ぶことにしました。夫婦が家にいられる年末年始の休みを最大限に利用して、ジャッキーとの最後の時間を楽しみました。
食べることが大好きだったジャッキーのために、プリンやカップケーキを作りました。ステーキや鮭も焼きました。たくさん食べた後は、ジャッキーの後ろに横になり、後頭部の甘いような香ばしいような匂いを嗅ぎながら一緒にお昼寝しました。
ジャッキーとの最後の1日は悲しくも切なくも甘い時間でした。
17歳まで生きたコーギー
18歳の誕生日まであと3か月で天国へ向かったジャッキー。
私にとって、とてもとても大切な存在だったので、その後のペットロスがひどかったです。思い返せば後悔することばっかりで「ごめんね、ごめんね」と毎日泣いていました。
3年経った今でもジャッキーの写真を見たり、思い出話をすると涙がこぼれます。
ジャッキーは私にたくさんのことを教えてくれました。特に、老犬介護については本当に考えさせられました。ジャッキーがいなければ、そんな機会もなかったし、色々な苦労や楽しみも経験もすることは出来ませんでした。本当にありがとう、ジャッキー。
コメント